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Channel: BIGTOEオフィシャルブログ「筋トレが救った癌との命がけの戦い」Powered by Ameba
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人生会議

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吉本興業の小籔座長が登場する厚生労働省の「人生会議」の啓発ポスターが話題になっていますね。人生会議とは、ACP(Advance Care Planning)をわかりやすく日本語化した物だそうで、もしもの時のため、病気や加齢で終末期を迎えて自身の意思表示が出来なくなる前に自身が望む医療について家族、医療関係者、ケアチームなどと話し合い意思表示をしておき共通の認識を持っておく、亡くなった時の本人の希望などについても家族と話し合って伝えておくことのようなのですがいまいちピンとこないのが正直なところだと思います。

 

押川勝太郎医師ががん治療の専門医の立場からYOU TUBEでわかりやすく述べられています。

https://youtu.be/Q92XfHqpToY

「人生の〆切に気がついた人が取り組むべき人生の終わりから逆算した生き方相談」と表現されています。

 

この世に生を受けたものの宿命として必ずや早晩死ぬ時がきます。これは誰にも避けることが出来ません。不公平が多い人間社会においてこれだけは公平です。

 

にもかかわらず、私自身も2年半前、「ステージⅣの気管癌」と宣告されるまで考えても見なかったことでした。

 

癌告知後、セカンドオピニオン、そして開き直って入院、手術、放射線治療を経て今日に至るわけですが、当然のことながら、退院後はこの世でやり残したこと、整理しておくべき事などを考えて生きるようになりました。オフ会もThe Finalとしてやりました。本も出しました。自宅も処分しました。永代供養墓も準備しました。葬式も小さなお葬式、家族葬と家族に告げています。物と人の断捨離も進めています。

 

しかし、私自身もそうであったように、多くの人は元気なうちに自分が死ぬ時のことなど考えていません。避けては通れないこととわかっていながらも「縁起の悪いことを言うな」とあえて避けて通る人も多いでしょう。SNSの記事へのアクセス数、「いいね」の数をみてもその傾向は見てとれます。

 

若いころは、人生はずっと続くくらいに思っていますし、若くなくても健康でいけいけドンドンの時には、考えたくもないし考えないでしょう。ある意味当然です。

 

でも、終末と言うのは、歳をとればその確率が高まりますが、若い人にも突然やってくることもあるのです。私は若いとは言えませんが、平均寿命まではまだまだあります。家のローンを抱えてましたし、仕事も現役でした。暴飲暴食はせず体も鍛えていました。にもかかわらず、突然、終末とも思える「癌罹患」を告げられたのです。がんの患者会のサバイバーたちも20代から50代の若い世代が多いのが現状です。突然死ということも考えられます。

 

「人生会議」の啓発ポスターへは賛否両論があるでしょうが、私見としては、私の父も終末期には認知症で今話したことを数分後には忘れる、遂には何を聞いても「わからん。」、「覚えん。」と言った状態でしたから、そうなる前に、自分の意思が伝えられなくなる前に、家族、医療者、ケアチームまでとは言わないまでも、家族の間では自分の思いを伝えておくべきだと思います。

最後に、押川勝太郎先生が紹介しておられる緩和医療医師 大津秀一先生の著書「死ぬ時に後悔すること25」からの言葉。

 

「明日死ぬかもしれないと思って生きてきた人間は、後悔が少ない。明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られた生の時間を精一杯生きようとする人間であり、一日一日に最善を尽くそうとする人間である。一期一会を思う人間である。」

 

元気なうちに一読して自身の人生について考える時間を持つのは良い事だと私は思います。


1993年、若かりしボディガー選手とBIGTOE動画

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懐かしい動画です。

 

1993年のミスター大阪。

 

吉賀、現ガンカンジャーBIGTOEと現人気プロレスラーザ・ボディガーこと倉川選手。

 

四半世紀の年月が流れたのですね。

 

二人とも若かった!!ピチピチです(笑)。

 

 

1993年ミスター大阪 BIGTOEのフリーポーズ動画

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思えば、転職して台湾での仕事中に同じジムの後輩がミスター大阪で優勝したと聞き、帰国後、急遽、「俺も!!」とばかりにトレーニングを再開!!

 

入賞できなければ辞めようと思いつつ、半年の準備期間で出場した大会でした。結果は何とか入賞。次の年の優勝を誓った年でもありました。

 

 

尼崎ボディビル同好会の忘年会に参加してきました!!

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昨年秋からお世話になっている尼崎ボディビル同好会の忘年会に行って来ました!!日本マスターズの雄 森山さんを筆頭にみんな元気印を絵に描いたようです!!

このグループでは50歳は尻の青い若手に属します。ビール、日本酒、焼酎、梅酒とたしなみながら2019年の反省と2020年オリンピックイヤーへの抱負を語り合いました!!

しかし、皆さん、人間には寿命が無いと思っていますね!!(笑)

1994年ミスター大阪でのBIGTOEのフリーポージング

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1994年ミスター大阪でのBIGTOEのフリーポージングです。

 

台湾から帰国して、優勝を目指してトレーニングに励んでいたにもかかわらず結果は5位。

 

優勝は、山中 徹選手、準優勝は同じナニワボディビルクラブの川本 勝くんでした。悔しさをかみしめた大会でもありました。

 

 

気管孔にキツイ季節到来!!そんな季節は・・・

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急に寒くなってきましたね!!

 

寒くて空気が乾燥するこの時期は、私のような気管孔で息をしている人間にとっては、気管孔から乾燥した冷たい外気がダイレクトに肺に流れ込む為、肺炎になったり、気管内の痰が乾燥してしまうので危険な季節です。

 

ということで、今日のように薄曇りの寒い日は室内にこもり、昔のソニーのハンディカムで撮影した8ミリテープをパソコンに落としてデジタル化を試みています。しかし、娘のダンスパフォーマンスの取り込みをはじめたら突然カメラの電源が入らなくなってしましました。調べてみましたがどうも電気は本体まで来ているので本体の故障のようです。

買うにも、すでに世の中はデジタル3Dの時代。アマゾンとかで中古しか手に入りません。しかも結構高い!!レビューを読むと、画像再生が出来なかった、音声が出なかった、ノイズが酷い、テープが絡みつく等々散々なコメント数多。どうしたものか思案中です。

 

デジタル化した物は、YOUTUBEにと思っているのですが、いきなり壁にぶち当たりました。

 

すでに、YOUTUBEには、多くのボディビル動画がアップされています。今日は、その中から、知る人ぞ知る、若い世代は全く知らない「突然!ガバチョ!!」を大阪の有名ジム、B&Fの塚本会長がアップされているので、今更ながらの御紹介です。

青二才のBIGTOEが鶴瓶さんにいじられている懐かしい動画です。

https://youtu.be/cJu045LHFQQ

 

 

癌種、原発部位、胸の永久気管孔は結構珍しいらしい・・・受けた手術をまとめてみました。

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癌種、原発部位、胸の永久気管孔は結構珍しいらしい


今日は気管癌、喉頭部癌で癌と共に気管の大部分、喉頭部を切除、呼吸をするための気管孔を制作するために鎖骨、胸骨、第一・第二肋骨を切除、気管孔の補強(ベース)として右大胸筋を使用、喉頭部全摘出した手術についてまとめてみました。つんくさんの罹患した喉頭癌などでは、気管が長く残せるので喉に気管孔を作るのですが、私の場合、稀少な気管癌なので気管が少ししか残せない為、呼吸が出来るように気管孔を最短の部位である胸に作る必要がありました。

 

◎どれくらい稀少かと言うと・・・

 

≪気管に癌が出来る割合≫

頻度は10万人に2人程度

 

≪癌種*主に頭頸部領域に発症する癌のうち腺様嚢胞癌の割合≫

頭頸部領域において1%から2%程度

 

※私の場合、頭頸部癌の1%2%の発症率の稀少癌が、10万人に2人程度の気管内にできたことになります。まさに希少動物並みですが、稀少動物ならば保護されますが、稀少癌は患者数が少ないため、研究費のもとが取れる見込みがないため、あまり研究されないのが現実です。よって、腺様嚢胞癌は効く抗がん剤がありませんし、放射線の効果もあまり見込めません。

 

(※腺様嚢胞癌) 主に頭頸部領域(唾液腺、舌下腺、耳下腺などの分泌腺)から発生する悪性腫瘍でまれな腫瘍の1つ。しかも、再発、転移がしやすい。

 

≪胸に制作された気管孔≫

※手術から2年余り。手術を受けた亀田総合病院でも、神戸市民病院でも、尼崎医療センターでも、ACCの患者会Team ACCでも、インターネットによる呼びかけでも、胸に気管孔を制作した人に出会っていませんし、亀田総合病院の主治医 野守裕明先生も生涯で私が3人目で状態は一番悪かった。」と言っておられました。

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◎皮膚切開


喉の部分をU字型に、その下から右胸大胸筋の下部に沿ってJの字型の切開

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◎胸に気管孔を作るための骨の切除

※癌が気管内から甲状腺、声帯を含む喉頭部まで10cmに及ぶため、気管を気管支への分岐点から5cmだけを残して、気管の大部分、声帯、甲状腺、周辺リンパ節、周辺筋肉を切除。胸に気管孔という呼吸のための孔を制作するためには体の外部への最短距離を稼ぐため、両鎖骨、第一・第二肋骨、胸骨を切除。つまり、胸鎖関節が無くなるということです

 

※主治医から

「骨は切断ではなく切除です。」

「気管孔をつくるために骨は戻せない。」

と言われました。
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◎ボディビルダーなら誰しも疑問に思うと思うのですが・・・

胸鎖関節が無くなるのなら、頭骨から胸鎖関節に繋がっている胸鎖乳突筋はどうなるの?首が回らなくなるやん。」

という疑問が残ります。

 

「胸鎖乳突筋は骨から切断されて大胸筋上部に縫合された」そうです。それでも可動域は狭くなったものの首を回すことは出来ます。筋肉って関節から切り取られ、筋肉同士縫合されてもちゃんと収縮、伸展するのですね。新しい発見でした。

 

◎胸の気管孔の補強に右大胸筋を使う

※それに伴い、残した気管を縫い付ける皮膚を補強するため、右大胸筋を肋骨から剥がして気管孔のベースにするかもしれないと術前に言われましたが、術後、目覚めると、大胸筋が使われていました。

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分かりやすくまとめるとこんな感じです。色々な治療法を模索しましたが、生きる為には、この方法しかなかったのです。でも、ぎりぎりとは言いながら手術が出来たのは幸運でした。

 

1994年BIGTOE出場のコンテスト(YOUTUBE)

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1994年ミスター大阪選手権大会の比較審査です。

 

 

 

(優勝の山中 徹選手と2位の川本 勝選手の比較!!川本君の腰高っつ!!)

 

1994年ミスター関西ボディビル選手権大会比較審査です。

優勝は山中 徹 2位 川本 勝 3位 BIGTOE でした。

 

川本君とは、同じナニワボディビルクラブの所属。元体操選手で、北斗の拳のケンシロウに憧れてボディビルを始めたとか。

 

控室で、山中選手が食べていたのが、でかい弁当箱に詰めたオートミールの上に鳥のささみを敷き詰めたもの。しかも2個!!、

 

この頃の関西のコンテストは熱かった!!


1994年 山中 徹 ・ 1995年 BIGTOE ・ 1996年 川本 勝

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私のボディビル人生で最も熱かった頃の動画発見!!

 

1994年のミスター関西のファーストコール

 

1994年 ミスター大阪・関西優勝の山中 徹 選手の1996年大阪でのゲストポーズ

 

1995年 ミスター大阪・関西優勝のBIGTOEこと私の1996年京都でのゲストポーズ

 

1996年 ミスター大阪・関西優勝のナニワボディビルクラブの後輩 川本 勝選手のフリーポーズ

 

をまとめてみました。

 

 

同じジムだった川本ちゃんと私は、でかい山中選手に全力でぶち当たり返り討ちに!!

 

今でも仲の良い友人たちです!!

 

歴代ミスター&ミズ大阪(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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「BIGTOEの筋肉物語」を始めたのがあの伝説のボディビルダーマッスル北村氏が亡くなった2000年8月。

 

あっという間の2年でした。

 

2019年のボディビルもオフシーズンに入りあと2週間足らずで新しい年がやってきます。

 

そこでこれからしばらくの間、「筋肉物語」の記事をいくつか振り返ってみたいと思います。

 

まずは、歴代ミスター大阪、ミズ大阪です。

 

【歴代ミスター大阪優勝者】
初 代 1967年 武本宣雄 26歳
第2代 1968年 吉村太一 23歳
第3代 1969年 重村 洵 25歳
第4代 1970年 杉田 茂 23歳
第5代 1971年 木本五郎 24歳
第6代 1972年 中原義光 24歳
第7代 1973年 荒木健一 22歳
第8代 1974年 木本五郎 26歳
第9代 1975年 塚本猛義 24歳
第10代 1976年 鉾之原尚 30歳
第11代 1977年 塚本猛義 26歳
第12代 1978年 粟井直樹 25歳
第13代 1979年 松原 博 30歳
第14代 1980年 小山裕史 23歳
第15代 1981年 北川哲夫 26歳
第16代 1982年 野沢正臣 27歳
第17代 1983年 森本 潔 26歳
第18代 1984年 米澤 昭 35歳
第19代 1985年 越知浩司 22歳
第20代 1986年 青野隆宏 27歳
第21代 1987年 和田正隆 27歳
第22代 1988年 末永和政 35歳
第23代 1989年 田中太典 31歳
第24代 1990年 林 和久 26歳
第25代 1991年 後藤勝規 27歳
第26代 1992年 吉岡憲太郎 41歳
第27代 1993年 今中直博 26歳
第28代 1994年 山中 徹 24歳
第29代 1995年 吉賀俊行(BIGTOE) 40歳
第30代 1996年 川本 勝 28歳


第31代 1997年 井上 浩 34歳
第32代 1998年 江口浩之 23歳
第33代 1999年 岩尾雄一郎 31歳
第34代 2000年 奥村武司 40歳
第35代 2001年 安福浩二 35歳
第36代 2002年 小杉 星 46歳
第37代 2003年 中武克雄 39歳
第38代 2004年 田口雅一 36歳
第39代 2005年 森内至夫 39歳
第40代 2006年 猿山直史 42歳
第41代 2007年 辻田 勲 38歳
第42代 2008年 増田卓也 26歳
第43代 2009年 マーク・ダイス
第44代 2010年 山崎岳志 40歳
第45代 2011年 岩尾雄一郎 43歳
第46代 2012年 井上博樹 34歳
第47代 2013年 金井雅樹 45歳
第48代 2014年 玉井正宏 49歳
第49代 2015年 松岡 啓 43歳
第50代 2016年 奥村武司 56歳
第51代2017年 川辺 仁 44歳
第52代 2018年 村上勝英 27歳
第53代 2019年 椿 幸仁 48歳




【歴代ミス大阪優勝者】
初 代 1984年 上田景子 24歳
第2代 1985年 鹿島由美 26歳
第3代 1986年 松野三重子 36歳
第4代 1987年 白井雅子 28歳
第5代 1988年 山下栄子 46歳
第6代 1989年 中本則恵 29歳
第7代 1990年 道林孝子 27歳
第8代 1991年 鍵谷佳陽子 29歳
第9代 1992年 高田葉子 22歳
第10代 1993年 石田朋子 29歳
第11代 1994年 阪口幸絵 24歳
第12代 1995年 谷 征子 25歳
第13代 1996年 岡本ゆう子 29歳
第14代 1997年 津田邦子 28歳
第15代 1998年 今村潤子 35歳
第16代 1999年 野間春美 33歳
第17代 2000年 今村直子 34歳
第18代 2001年 井上裕子 34歳
第19代 2002年 鷲山美紀 31歳
第20代 2003年 児島多賀子 37歳
第21代 2004年 神田知子 37歳
第22代 2005年 木村幸子 35歳
第23代 2006年 秋山加津美 43歳
第24代 2007年 小川昌江 55歳
第25代 2008年 国田真紀 39歳
第26代 2009年 大倉志磨恵
第27代 2010年 大森樹里
第28代 2011年 松村京子
第29代 2012年 高橋佐智代
第30代 2013年 盛 明美
第31代2014年 辻 尚子
第32代 2015年 大森樹理 37歳
第33代 2016年 新開由佳
第34代 2017年 野間春美
第35代 2018年 中村さやか
第36代 2019年 古川千周

 

歴代ミスター&ミズ関西優勝者(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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関西選手権は、1974年から始まり45年の歴史を誇るオーバーオールのボディビル選手権です。大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀(一時、岡山も含まれた時もあります。)の選手によって競われます。

また、

関西の大会は、独特の声援と雰囲気があり盛り上がります。

 

【歴代ミスター関西優勝者】

(写真提供:月刊ボディビルディング)

初 代 1974年 石神日出喜 (兵庫)

初代ミスター関西 石神日出喜(※写真提供:月刊ボディビルディング)

 

第2代 1975年 木本五郎 (大阪)
第3代 1976年 長宗五十夫 (兵庫)
第4代 1977年 東海林 徹 (兵庫)
第5代 1978年 粟井直樹 (大阪)
第6代 1979年 塚本猛義 (大阪)
第7代 1980年 小山裕史 (大阪)
第8代 1981年 押方兼二 (兵庫)
第9代 1982年 松原 博 (大阪)
第10代 1983年 亀山芳信 (岡山)
第11代1984年 森本 潔 (大阪)
第12代 1985年 大谷浩司 (京都)
第13代1986年 上山成昭 (兵庫)
第14代 1987年 浅井 仁 (和歌山)
第15代 1988年 和田正隆 (大阪)
第16代 1989年 末永和政 (大阪)
第17代 1990年 林 和久 (大阪)
第18代 1991年 村上武司 (大阪)
第19代 1992年 高尾克巳 (京都)
第20代 1993年 今中直博 (大阪)
第21代 1994年 山中 徹 (大阪)

1984年ミスター関西(※写真提供:月刊ボディビルディング)


第22代 1995年 吉賀俊行(BIGTOE) (大阪)


第23代 1996年 川本 勝 (大阪)
第24代 1997年 井上 浩 (大阪)
第25代 1998年 小杉 星 (大阪)
第26代 1999年 岩尾雄一郎 (大阪)
第27代 2000年 奥村武司 (大阪)
第28代 2001年 安福浩二 (大阪)
第29代 2002年 中武克雄 (大阪)


第30代 2003年 島津忠久 (京都)
第31代 2004年 田口雅一 (大阪)
第32代 2005年 江口浩之 (大阪)
第33代 2006年 猿山直史 (大阪)
第34代 2007年 北村智昭 (兵庫)
第35代 2008年 平田 隆 (京都)
第36代 2009年 増田卓也 (大阪)
第37代 2010年 マーク・ダイス (大阪)
第38代 2011年 山崎岳志 (大阪)
第39代 2012年 辻田 勲 (大阪)
第40代 2013年 井上博樹 (大阪)
第41代 2014年 松岡 啓 (大阪)
第42代 2015年 玉井正宏 (大阪)
第43代 2016年 金井雅樹 (大阪)
第44代 2017年 玉井正宏 (大阪)
第45代 2018年 村上勝英 (大阪)
第46代 2019年 椿 幸仁(大阪)



【歴代ミスボディビューティ優勝者】
初 代 1981年 小山美智子 (鳥取)
第2代 1982年 シグリッド Sブレデンバーグ (米国)
第3代 1983年 栗井幸子 (岡山)
第4代 1984年 長森冨子 (京都)
【歴代ミス関西優勝者】
第5代 1985年 谷本相子 (京都)
第6代 1986年 荒木真弓 (京都)
第7代 1987年 三好美鈴 (京都)
第8代 1988年 石田正子 (京都)
第9代 1989年 樋爪雅子 (大阪)
第10代 1990年 中本則恵 (大阪)
第11代 1991年 鍵谷佳陽子 (大阪)
第12代 1992年 水野佳子 (兵庫)
第13代 1993年 石田朋子 (大阪)
第14代 1994年 藤森ゆりか (大阪)
第15代 1995年 津田邦子 (大阪)
第16代 1996年 岡本ゆう子 (大阪)
第17代 1997年 関 雅子 (大阪)
第18代 1998年 秋山加津美 (大阪)
第19代 1999年 野間春美 (大阪)
第20代 2000年 今村直子 (大阪)
第21代 2001年 木村美由紀 (大阪)
第22代 2002年 鷲山美紀 (大阪)


第23代 2003年 今村潤子 (大阪)
第24代 2004年 神田知子 (大阪)
第25代 2005年 秋山加津美 (大阪)
第26代 2006年 児島多賀子 (大阪)
第27代 2007年 小川昌江 (大阪)
第28代 2008年 国田真紀 (大阪)
第29代2009年 大倉志満恵 (大阪)
第30代 2010年 大森樹里 (大阪)
第31代 2011年
第32代 2012年 篠原みゆき (兵庫)
第33代 2013年 高橋佐智代 (大阪)
第34代 2014年 魚澤亜矢 (和歌山)
第35代 2015年 大森樹里 (大阪)
第36代 2016年 新開由佳 (大阪)
第37代 2017年 太田美貴子 (京都)
第38代 2018年 三崎朋子(滋賀)
第39代 2019年 星宮有智子(京都)

 

 

歴代ミスター&ミズ東京(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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日本ボディビルのブロックコンテストで最高峰のコンテストは間違いなくミスター&ミズ東京です。東京への一極集中化に比例するように競技人口が多い事がその要因と思われます。

歴代優勝者を見てもIFBBミスターユニバース末光健一選手、マスターズ世界チャンピオン小沼敏夫選手、80㎏級世界チャンピオン鈴木 雅選手、伝説のボディビルダーマッスル北村氏と錚々たる顔ぶれです。

【歴代ミスター東京優勝者】
初 代 1966年 後藤武雄
第2代 1967年 鈴木正広
第3代 1968年 吉田 実
第4代 1969年 末光健一
第5代 1970年 小島一夫
第6代 1971年 水上 彪
第7代 1972年 坪井善司
第8代 1973年 宮畑 豊
第9代 1974年 加藤一男
第10代 1975年 古屋喜久男
第11代 1976年 六本木 昇
第12代 1977年 朝生照雄
第13代 1978年 福岡 章
第14代1979年 上原隆一
第15代 1980年 白田 稔
第16代 1981年 佐藤啓治
第17代 1982年 川上昭雄
第18代 1983年 小沼敏雄
第19代 1984年 井口吉美智
第20代 1985年 北村克巳
第21代 1986年 鶴田和一
第22代 1987年 高西文利
第23代 1988年 大河原久典
第24代 1989年 渡辺 茂
第25代 1990年 須賀幸男
第26代 1991年 山田新五郎
第27代 1992年 ピータ^・マキニ
第28代 1993年 谷野義弘
第29代 1994年 山本義徳
第30代 1995年 上野克彦
第31代 1996年 津田 宏
第32代 1997年 石崎秀二
第33代 1998年 近藤賢司
第34代 1999年 相川浩一
第35代 2000年 林 久司
第36代 2001年 長橋克明
第37代 2002年 堀江雅貴
第38代 2003年 佐々木 晋
第39代 2004年 須山翔太郎
第40代 2005年 鈴木 雅
第41代 2006年 郷 直樹
第42代 2007年 小久保一美
第43代 2008年 佐々木 卓
第44代 2009年 山田幸浩


第45代 2010年 高梨圭祐
第46代 2011年 大原陽一郎
第47代 2012年 佐藤貴規
第48代 2013年 佐藤茂男
第49代 2014年 加賀義和
第50代 2015年 豊島 悟
第51代 2016年 寺地進一
第52代 2017年 横川尚隆


第53代 2018年 松本美彦
第54代 2019年 相澤隼人



【歴代ミス東京優勝者】
初 代 1983年 飯島ゆりえ
第2代 1984年 須藤ゆき
第3代 1985年 長谷川尚子
第4代 1986年 大島ひろみ
第5代 1987年 松本俊子
第6代 1988年 秋山珠美
第7代 1989年 市川 櫻
第8代 1990年 吉田由香
第9代 1991年 山本美奈子
第10代 1992年 橿棒幸子
第11代 1993年 浜永祐子
第12代 1994年 水間詠子
第13代 1995年 石川祐子
第14代 1996年 内田美紀子
第15代 1997年 浅見由理香
第16代 1998年 西本朱希
第17代 1999年 メデルシャノン
第18代 2000年 杉井ますみ
第19代 2001年 水野浩美
第20代 2002年 大橋洋子
第21代 2003年 足立晃子
第22代 2004年 安田敦子
第23代 2005年 大澤直子
第24代 2006年 恵良律子
第25代 2007年 佐藤美由紀
第26代 2008年 天童あゆみ
第27代 2009年 清水恵理子
第28代 2010年 高原佐知子
第29代 2011年 久野礼子
第30代 2012年 田中久美
第31代 2013年 志村眞理
第32代 2014年 澤田めぐみ
第33代 2015年 橋木亜季
第34代 2016年 中村静香
第35代 2017年 宮田みゆき
第36代 2018年 阿部優花
第37代 2019年 佐藤英己

 

歴代ミスター岡山(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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【歴代ミスター岡山】
万寿小学校、倉敷東中学校、倉敷青陵高校と過ごした倉敷は私にとって思いの深い第2の故郷です。1985年は倉敷トレーニングプラザ所属でミスター岡山に出場。ミスター大阪、関西の先輩、故粟井直樹先生には大変お世話になりました。岡山県は大阪、東京に比してジムの数、競技人口は少ないですが、いい選手を輩出しています。

 

(※1985年ミスター岡山 左から鹿村選手、BIGTOE、大森選手)


初 代 1972年 久宗 実
第2代 1973年 久宗 実
第3代 1974年 山田豊作
第4代 1975年 小野和彦
第5代 1976年 亀山芳信

(※写真:ラウンジピュア吉田さん提供)
第6代 1977年 新木鐘義
第7代 1978年 藤原亮助
第8代 1979年 中村太郎
第9代 1980年 姫野又一
第10代 1981年 柴田洋一
第11代 1982年 佐々木斎
第12代 1983年 上田太郎
第13代 1984年 片岡俊和


第14代 1985年 吉賀俊行(BIGTOE)
第15代 1986年 大森研一
第16代 1987年 鹿村啓一
第17代 1988年 岸本正治
第18代 1989年 丸川 洋

(※写真提供:月刊ボディビルディング)
第19代 1990年 川口千晶
第20代 1991年 大前友正
第21代 1992年 岡野雅晴
第22代 1993年 森本 剛
第23代 1994年 リカルド中山
第24代 1995年 松本裕樹
第25代 1996年 猿山直史
第26代 1997年 三宅潤一
第27代 1998年 木村善幸
第28代 1999年 岡上 忠
第29代 2000年 只信弘樹
第30代 2001年 小野篤人
第31代 2002年 山本邦裕
第32代 2003年 平松一也
第33代 2004年 大石真治
第34代 2005年 宗森祥和
第35代 2006年 荒木和将
第36代 2007年 小峠光生
第37代 2008年 藤原基晴
第38代 2009年 赤山 享


第39代 2010年 長町裕一
第40代 2011年 片岡敏徳
第41代 2012年 神埼真宜
第42代 2013年 西本祐也
第43代 2014年 松井哲哉
第44代 2015年 岡 克宏
第45代 2016年 神埼倫典
第46代 2017年 小野員史
第47代 2018年 小出手勇太
第48代 2019年 福岡正基

 

 

歴代JPCチャンピオン(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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JPC ザ・コンテスト】★★★★★

1995年にNABBAミスターユニバース、伝説のボディビルダー杉田 茂氏が、所属ジム、トレーニング環境に関係なく誰でも参加できるオープンなコンテストを目指して立ち上げたコンテストです。海外からプロボディビルダー、ハンディキャップを持つボディビルダー、パフォーマーなど多彩なゲストを招き、縛りのない魅力的な演出を展開しました。

 

JPC ザ・コンテスト・ナショナルズ】

1995 上沢尚志

1996 上沢尚志

1997 上沢尚志

1998 上沢尚志

1999 宮野成夫

2000 宮野成夫

2001 今中直弘

2002 倉川 昇

2003 上山成昭

2004 エイビー・ババイ

2005 エイビー・ババイ

2006 エイビー・ババイ

2007 倉川 昇

2008 伊藤幸二

2009 堺部元行

2010 鈴木克彰

2011 (開催されず)

2012 小西幸樹

2013 小西幸樹

2014 井上桂将

 

JPCフィットネス&フィギア】

1995 鍵谷佳代子

1996 鍵谷佳代子

1997 片岡幸子

1998 荒木美帆

1999 井上裕子

2000 橋本淳子

2001 桑江よしえ

2002 渡辺千紘

2003 橋本淳子

2004 渡辺千紘

2005 木下美弥子

2006 木下美弥子

2007 豊島香奈子

2008 豊島香奈子

2009 豊島香奈子

2010 豊島香奈子

2011 (開催されず)

2012 砂山マルシア

歴代ANNBBFミスター&ミズ日本(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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全日本ナチュラルボディビルディング連盟(ANNBBF)は、1954年関西 ボディビル協会の発足に始まり、全日本ボディビル協会、IFBB JAPAN、日本ボディビルダーズ連盟(NBBF)、日本ボディビルディング連盟(NBBF)を経て2016年から全日本ナチュラルボディビルディング連盟(ANNBBF)と名称を改め今日に至ります。過去、現在、将来において薬物を使わないアンチドーピングを理念に活動しています。九州に拠点を置き、大会も九州での開催の為、それが参加したい選手のネックになっているようです。

 

NBBF ミスター日本】

1982年 金平春甲

1983年 高橋 威

1984年 金平春甲

1985年 崎浜良雄

1986年 金平春甲

1987年 金平春甲

1988年 米沢 昭

1989年 矢萩勝利

1990年 大前勝明

1991年 崎浜良雄

1992年 大前勝明

1993年 森田 茂

1994年 森田 茂

1995年 香月速夫

1996年 池田富雄

1997年 池田富雄

1998年 池田富雄

1999年 池田富雄

(※写真:月刊ボディビルディング)

2000年 大前勝明

2001年 崎浜良雄

2002年 後東明彦

2003年 後東明彦

2004年 後東明彦

2005年 山田義徳

2006年 山田義徳

2007年 山田義徳

2008年 後東明彦

2009年 後東明彦

2010年 後東明彦

2011年 後東明彦

2012年 後東明彦

2013年 松本信一

2014年 松本信一

2015年 清尾 亨

2016年 清尾 亨

2017年 清尾 亨

2018年 清尾 亨

2019年 清尾 亨

 

NBBF ミズ日本】

1982年 平 美佐子

1983年 平 美佐子

1984年 細川佐代子

1985年 壽崎道子

1986年 細川佐代子

1987年 黒見由紀

1988年 中野香代子

1989年 中野香代子

1990年 中野香代子

1991年 中野香代子

1992年 中野香代子

1993年 岩本有子

1994年 中島春美

1995年 中島春美

1996年 井出美恵子

1997年 中島春美

1998年 田附充子

1999年 田附充子

2000年 田附充子

2001年 田附充子

2002年 田附充子

2003年 佐藤芳恵

2004年 佐藤芳恵

2005年 山田佳子

2006年 佐藤芳恵

2007年 山田佳子

2008年 山田佳子

2009年 佐藤芳恵

2010年 山田佳子

2011年 阿部祐子

2012年 佐藤芳恵

2013年 佐藤芳恵

2014年 佐藤芳恵

2015年 山田佳子

2016年 山田佳子

2017年 藤本典子

2018年 山田佳子

2019年 藤本典子

 


歴代JBBFミスター&ミズ日本(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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【歴代JBBFミスター日本優勝者】

(写真提供:月刊ボディビルディング)
1955年、ちょうど私と同年齢のJBBF日本ボディビル選手権の歴代チャンピオンです。

歴史、選手層、実績のどれをとっても名実ともに日本最高峰のコンテストでしょう。

歴代チャンピオンの中には、伝説と言われるIFBBミスターユニバース優勝 末光健一氏、NABBAミスターユニバース総合、ショートマン優勝 杉田 茂氏、NABBAミスターユニバースミディアム優勝 須藤孝三氏などが含まれています。


初代 1955年 中大路和彦
2代 1956年 広瀬一郎
3代 1957年 宇土成達
4代 1958年 矢沢正太郎
5代 1959年 竹内 威
6代 1960年 金澤利翼
7代 1961年 土門義信
8代 1962年 名塚 進
9代 1963年 金澤利翼
10代 1964年 梯 政治
11代 1965年 多和昭之進
12代 1965年 遠藤光男
13代 1967年 小笹和俊
14代 1968年 吉田 実
15代 1969年 吉村太一
16代 1970年 武本蒼岳
17代 1971年 末光健一 IFBBミスターユニバース優勝
18代 1972年 杉田 茂 NABBAミスターユニバース総合。ショートマン優勝

19代 1973年 宇戸信一
20代 1974年 須藤孝三 NABBAミスターユニバースミディアム優勝


21代 1975年 榎本正司
22代 1976年 須藤孝三
23代 1977年 奥田孝美
24代 1978年 知名定勝
25代 1979年 長宗五十夫
26代 1980年 朝生照雄
27代 1981年 石井直方
28代 1982年 小山裕史
29代 1983年 石井直方
30代 1984年 小山裕史
31代 1985年 小沼敏雄
32代 1986年 朝生照雄
33代 1987年 小沼敏雄
34代 1988年 小沼敏雄
35代 1989年 小沼敏雄
36代 1990年 小沼敏雄
37代 1991年 小沼敏雄
38代 1992年 小沼敏雄
39代 1993年 小沼敏雄
40代 1994年 小沼敏雄
41代 1995年 小沼敏雄
42代 1996年 小沼敏雄
43代 1997年 小沼敏雄
44代 1998年 小沼敏雄
45代 1999年 小沼敏雄(13連覇・14回目の優勝)
46代 2000年 谷野義弘
47代 2001年 田代 誠
48代 2002年 田代 誠
49代 2003年 田代 誠
50代 2004年 田代 誠(4連覇)
51代 2005年 合戸孝二
52代 2006年 谷野義弘
53代 2007年 合戸孝二
54代 2008年 合戸孝二
55代 2009年 合戸孝二(3連覇)
56代 2010年 鈴木 雅
57代 2011年 鈴木 雅
58代 2012年 鈴木 雅
59代 2013年 鈴木 雅
60代 2014年 鈴木 雅
61代 2015年 鈴木 雅
62代 2016年 鈴木 雅
63代 2017年 鈴木 雅
64代 2018年 鈴木 雅 (9連覇)
65代 2019年 横川尚隆



【歴代ミス日本優勝者】
初代 1983年 中尾和子
2代 1984年 北沢磨佐美


3代 1985年 安藤寛子
4代 1986年 大垣純子
5代 1987年 遠藤文恵
6代 1988年 長谷川尚子


7代 1989年 大垣純子
8代 1990年 木村孝子
9代 1991年 高橋明美
10代 1992年 松本俊子
11代 1993年 大垣純子
12代 1994年 水間詠子
13代 1995年 ↓
14代 1996年 ↓
15代 1997年 ↓
16代 1998年 ↓(5連覇)
17代 1999年 西本朱希
18代 2000年 石川祐子
19代 2001年 ↓
20代 2002年 ↓(3連覇)
21代 2003年 水間詠子
22代 2004年 西本朱希
23代 2005年 ↓
24代 2006年 ↓
25代 2007年 ↓
26代 2008年 ↓
27代 2009年 ↓(6連覇)
28代 2010年 今村直子
29代 2011年 山野内里子
30代 2012年 今村直子
31代 2013年 山野内里子
32代 2014年 山野内里子
33代 2015年 山野内里子
34代 2016年 山野内里子 (4連覇)
35代 2017年 澤田めぐみ
36代 2018年 澤田めぐみ
39代 2019年 高原佐知子

 

歴代ミスター&ミズオリンピア(「BIGTOEの筋肉物語」より)

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【歴代ミスターオリンピア】

ジョー・ウイダーによって発足した世界最高峰のプロボディビルコンテスト。

後にハリウッド俳優として成功し、カリフォルニア州知事として活躍したアーノルドの出現でボディビルの認知度は大きく高まった。

 

初 代 1965年 ラリー スコット①(ニューヨーク・アメリカ)
第2代 1966年 ラリー スコット② (ニューヨーク・アメリカ)

(※伝説のファーストミスターオリンピアラリー・スコット氏 1984年ソルトレイクシティでお世話になりました。)
第3代 1967年 セルジオ オリバ①(ニューヨーク・アメリカ)
第4代 1968年 セルジオ オリバ② (ニューヨーク・アメリカ)
第5代 1969年 セルジオ オリバ③ (ニューヨーク・アメリカ)


第6代 1970年 アーノルド シュワルツェネガー① (ニューヨーク・アメリカ)
第7代 1971年 アーノルド シュワルツェネガー② (パリ・フランス)
第8代 1972年 アーノルド シュワルツェネガー③ (エッセン・ドイツ)
第9代 1973年 アーノルド シュワルツェネガー④ (ニューヨーク・アメリカ)
第10代 1974年 アーノルド シュワルツェネガー⑤ (ニューヨーク・アメリカ)
第11代 1975年 アーノルド シュワルツェネガー⑥ (プレトリア・南アフリカ)


第12代 1976年 フランコ コロンブ① (コロンバス・オハイオ)

(※コロンボ氏とゴールドジム、ワールドジムの創始者ジョー・ゴールド氏と。後方にマスターズオリンピアに輝いた石村勝巳氏の姿も見える。)


第13代 1977年 フランク ゼーン① (コロンバス・オハイオ)
第14代 1978年 フランク ゼーン② (コロンバス・オハイオ)
第15代 1979年 フランク ゼーン③ (コロンバス・オハイオ)
第16代 1980年 アーノルド シュワルツェネガー⑦ (シドニー・オーストラリア)
第17代 1981年 フランコ コロンブ② (コロンバス・オハイオ)
第18代 1982年 クリス ディッカーソン (ロンドン イングランド)


第19代 1983年 サミール バンノー (ムニチ・ドイツ)


第20代 1984年 リー ヘイニー① (ニューヨーク・アメリカ)
第21代 1985年 リー ヘイニー② (ブリュッセル・ベルギー)
第22代 1986年 リー ヘイニー③ (コロンバス・オハイオ)
第23代 1987年 リー ヘイニー④ (Goteborg スウェーデン)
第24代 1988年 リー ヘイニー⑤ (ロスアンジェルス・アメリカ)
第25代 1989年 リー ヘイニー⑥ (リミニ・イタリア)
第26代 1990年 リー ヘイニー⑦ (シカゴ・アメリカ)
第27代 1991年 リー ヘイニー⑧ (オーランド・フロリダ)
第28代 1992年 ドリアン イエツ① (フィンランド)
第29代 1993年 ドリアン イエツ② (アトランタ・ジョージア)
第30代 1994年 ドリアン イエツ③ (アトランタ・ジョージア)
第31代 1995年 ドリアン イエツ④ (アトランタ・ジョージア)
第32代 1996年 ドリアン イエツ⑤ (シカゴ・アメリカ)
第33代 1997年 ドリアン イエツ⑥ (ロスアンジェルス・アメリカ)
第34代 1998年 ロニー コールマン①( ニューヨーク・アメリカ)
第35代 1999年 ロニー コールマン② (ラスベガス・アメリカ)
第36代 2000年 ロニー コールマン③ (ラスベガス・アメリカ)
第37代 2001年 ロニー コールマン④ (ラスベガス・アメリカ)
第38代 2002年 ロニー コールマン⑤ (ラスベガス・アメリカ)
第39代 2003年 ロニー コールマン⑥ (ラスベガス・アメリカ)
第40代 2004年 ロニー コールマン⑦ (ラスベガス・アメリカ)
第41代 2005年 ロニー コールマン⑧ (ラスベガス・アメリカ)
第42代 2006年 ジェイ・カトラー① (ラスベガス・アメリカ)
第43代 2007年 ジェイ・カトラー② (ラスベガス・アメリカ)
第44代 2008年 デキスター・ジャクソン (ラスベガス・アメリカ)
第45代 2009年 ジェイ・カトラー③ (ラスベガス・アメリカ)
第46代 2010年 ジェイ・カトラー④ (ラスベガス・アメリカ)
第47代 2011年 フィル・ヒース① (ラスベガス・アメリカ)
第48代 2012年 フィル・ヒース② (ラスベガス・アメリカ)
第49代 2013年 フィル・ヒース③ (ラスベガス・アメリカ)
第50代 2014年 フィル・ヒース④ (ラスベガス・アメリカ)
第51代 2015年 フィル・ヒース⑤ (ラスベガス・アメリカ)
第52代 2016年 フィル・ヒース⑥ (ラスベガス・アメリカ)
第53代 2017年 フィル・ヒース⑦ (ラスベガス・アメリカ)
第54代 2018年 ショーン・ローデン (ラスベガス・アメリカ)
第55代 2019年 ショーン・ローデンブランドン・カリー (ラスベガス・アメリカ)

 



【歴代ミズオリンピア】
初 代 1980年 レイチェル・マクリッシュ USA

(※ファーストミズオリンピア レイチェル・マクリッシュさん-サンタモニカワールドジムにて-)
第2代 1981年 カイク・エマロー
第3代 1982年 レイチェル・マクリッシュ USA
第4代 1983年 カーラ・ダンロップ
第5代 1984年 コリー・エバーソン
第6代 1985年 コリー・エバーソン
第7代 1986年 コリー・エバーソン
第8代 1987年 コリー・エバーソン
第9代 1988年 コリー・エバーソン
第10代 1989年 コリー・エバーソン
第11代 1990年 レンダ・マーレ
第12代 1991年 レンダ・マーレ
第13代 1992年 レンダ・マーレ
第14代 1993年 レンダ・マーレ
第15代 1994年 レンダ・マーレ
第16代 1995年 レンダ・マーレ
第17代 1996年 キム・チゼスキー
第18代 1997年 キム・チゼスキー
第19代 1998年 キム・チゼスキー
第20代 1999年 キム・チゼスキー
第21代 2000年 アンドーラ・ブランシェット(ライト級) イギリス
バレンティナ・チェピガ(ヘビー級) ウクライナ
第22代 2001年 ジュリエット・バーグマン オランダ
第23代 2002年 レンダ・マーレ USA
第24代 2003年 レンダ・マーレUSA
第25代 2004年 アイリス・カイル
第26代 2005年 ヤクセニ・オリケン ベネズエラ
第27代 2006年 アイリス・カイル USA
第28代 2007年 アイリス・カイル USA
第29代 2008年 アイリス・カイル USA
第30代 2009年 アイリス・カイル USA
第31代 2010年 アイリス・カイル USA
第32代 2011年 アイリス・カイル USA
第33代 2012年 アイリス・カイル USA
第34代 2013年 アイリス・カイル USA
第35代 2014年 アイリス・カイル USA

 

・・・・・ミズオリンピアから Women's Physiqueに変わる・・・・・

 

第36代 2015年 Women's Physique
Juliana Malacarne ブラジル
第37代 2016年 Juliana Malacarne
第38代 2017年 Juliana Malacarne
第39代 2018年 Shanique Grant

 

今年もお世話になりました。そして、少し早いですが新年明けましておめでとうございます。

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年内のジムトレーニングは、27日の体育館トレーニングで終了しました。

今日、大晦日は自宅での腹筋、ストレッチ、ヒンズースクワットを軽くやりました。

忘年会も28日のナニワボディビルクラブOB会、29日のストロングデポ納会で終了です。

 

気管孔の調子、体調は日々波があり試行錯誤の毎日ですが(空)元気です(笑)!!

今年は、4月に気管孔のチューブ抜去トライでの入院(失敗しましたが(涙))6月には口腔内の骨腫切除手術での入院はありましたが、おかけ様で腺様嚢胞癌の再発、転移は確認されることなく新年を迎えることが出来る事に感謝です。

 

来るべき2020年は、東京オリンピックイヤー。2度目の東京オリンピックを孫息子と見ることが出来るのも病院の先生方、看護師さんたち、いつも支えてくれる家族、応援してくれる友人たちがあってのことです。日々、感謝しかありません。

2020年は、ギター再開、人工電気喉頭での英会話など新しいことに挑戦します。さらに素晴らしい年になると思います。

 

みんな、ありがとうね!!そして、2020年も宜しくです!!

 

少し早いですが・・・

 

新年明けましておめでとうございます!!今年も宜しくお願い致します!!

2020年はこう生きる!!

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みなさん、元気ですか!!

年が明けて早くも「3が日」が過ぎ去り、今日は5日です。

 

年をとったせいか、現役時代と比べて年末は、「もういくつ寝るとお正月(正月休み)」と言うワクワク感もなくなり、「レコード大賞」を観ても価値観の多様化が進みすぎて私にとっては初めて聴く歌ばかりでつまらない(笑)、「紅白」も同様の理由から観ないので、「ガキツカ」、「格闘技」、「サスケ」をはしごして過ごしました。


(※箱根駅伝 娘の母校 青学新記録で優勝!!やはり応援してしまいますね。) 

 

新年を迎えてもレストランやスーパーも元旦から営業する店も多くなり、餅つき、凧揚げ、コマ回し、羽子板、カルタ取りなど日本の正月の風物詩といえる光景もあまり目にしなくなり少し寂しい。この正月も、もっぱらコタツに入って「箱根駅伝」を観ながらワインを飲み、雑煮とみかんを食べて過ごしています。まあ、2年前の入院手術以来、仕事も失い万年正月状態だからかもしれません(笑)。考えようによっては幸せ、考えようによっては目標のない漂流のような生活です。

 
(※亡き母が正月にいつも用意してくれていた赤玉ワインをどうしても飲んでしまいます。)

 

そんな中でも、ボディビルダーの性!?ネブライザーで体調を整えながら、何が楽しいのか?と思われるかもしれませんが、自宅でのヒンズースクワット、サイドレイズ、腹筋、ストレッチは大好きな「南沙織」を聴きながら楽しくやっています。これも生きているからこそ出来る事。

 

2日には娘夫婦が可愛い孫息子を連れて来て遊びに来てくれとても楽しい一日を過ごすことが出来ました。「ありがとう」の気持ちで一杯です。

 

今日は、ギターを引っ張り出しチューニングから始めたいと思います。ジムトレは7日からのスタートです。


(※人ごみは苦手なので近所の静かな氏神様で初詣です。)
 

そして、2020年の目標・・・

・家族と孫と友人と笑って過ごす。

・「1日1事」、1日ひとつだけ何かをする。

・ギターのやり直し。(ボケ防止)

・人工電気喉頭英会話に挑戦。

・健康、体力回復のためのトレーニングを楽しむ。

 

再発、転移、嫌なことは考えないように楽しいことに夢中になりたいと思います。

 

ギター再開!!

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今日ギターを引っ張り出しました。

 

2017年の入院手術前に医師から声を永久に失うことを告げられた後、「歌は歌えなくなってもギターは弾ける。」などと思ったものの、実際、退院後にギターを抱えると右肩が痛み弾く姿勢を保てない、右大胸筋がない胸にギターが当たって痛くて弾けないとことが判明。退院から2年近く経過した今日までギターを持つことはありませんでした。

 

しかし、今年は一念発起して工夫をしながらもう一度と言うわけで手に取ってみました。

痛みで長くは持てないけれど、クッションを挟んだり、持つ位置を工夫すれば何とかなりそうです。そして、トライ!!意外と指は覚えているものですね。マッスルメモリーに加えてフィンガーメモリーを確認し少し嬉しくなった1日でした。

 

今年はやはり声を失って以来遠ざかっていた英会話を再開予定です。仕事で海外にもう一度行きたいという思いは断たれましたが、「はたして会話用の人工電気喉頭を使っての英会話が外人さんに通じるか否か!?」CJBBFのコンテスト会場でパトリックさんに話しかけてみたいと思います(笑)。

 

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