5年後の生存率40%未満のがん宣告から今日で4年
埼玉県所沢の防衛医大病院で「気管腺様嚢胞癌ステージⅣ、5年後の生存率40%未満」の宣告を受けてから今日で丸4年。
患者を選ぶのかもしれないけれど、今は医者って意外と簡単に本人に「がん宣告」、「余命」を告げるのだなと思ったことを覚えています。
ドラマなんかでは「いつ誰が告知するのか?知らせないのか?」という場面を見ますし、実際、親が癌と分かった時に今は縁を切った妹が私に「告知しろ」と大騒ぎしたことも思い出しました。
でも、自分ががんになって宣告されたら意外と冷静に受け止めることが出来、「治療法はあるのですか?」と尋ね、取り乱すことなどありませんでした。
唯一の可能な治療法が「重い後遺症が残る外科手術のみ」と聞き、長年鍛えてきた肉体にメスを入れたくないと考えていた私は「別の治療法があるのでは?」と築地の国立がん研究センター中央病院、銀座の亀田京橋クリニックとセカンドオピニオン受診を重ねることに。
しかし、外科手術以外の道は無いと悟った末、生きることを選択。千葉県鴨川の亀田総合病院で気管癌切除、喉頭部切除、気管孔制作手術、放射線治療による半年間の入院生活を経て鴨川市の住民になり1年間の鴨川療養生活となりました。お陰様で命拾いしただけでなく、サーファーが集う鴨川リゾートで毎日海を眺めながら人生の1年を過ごすことが出来ました。ついてます!!
関西に帰還後の昨年12月、癌の肺転移発覚。あれだけ体にメスを入れることを嫌っていた自分が即、肺の部分切除手術を決断。手術が可能だったことはラッキーでした。
術後の抗がん剤治療は効果に疑問を持っているので自身の判断で丁寧にお断りしました。
おそらく次に再発転移したら、効く抗がん剤がないし免疫チャックポイント阻害剤も効果は期待できない希少癌なので人生のカウントダウンに入るでしょう。
でも、ドンマイ!!
今、こうして元気?に生きています!!手術の後遺症で声を失い、出来る事が大幅に減りましたが、懸垂、スクワットなどの数種目の筋トレは出来ます。こうして文字で発信することも出来ます。
この世に生を受けた人は誰しもいずれこの世を卒業する時がきます。不公平なことが蔓延る中、早いか遅いかの違いはあるもののこれだけは平等なのです。
10年生きて3650日、100歳まで生きてもわずか36500日。短くても幸福な充実した人生をおくる人も居れば、100年生きても不幸で後悔ばかりの人生をおくる人も居ますから長さは関係ないということです。
人はこの世に生を受け、はいはいしだし、歩けるようになり、走ったり跳んだりできるようになります。そして加齢や病の罹患とともに、走ったり跳んだりできなくなり、やがて歩けなくなり、はいはいすら出来なくなってこの世を去ります。
私も例外ではないのでいずれ懸垂、スクワットも出来なくなり、歩けなくなる日が間違いなくやってきます。
でも、生きている限り前を向き、出来る事をやり続けるのでしょう。
まずは、5年生存率40%未満クリアまで365日は視野に入ってきました!!
人生に後悔はしない自信はあります。
※梅雨の合間もペーパータオルで公園の遊具を吹いて筋トレに勤しむ。「いつまで懸垂が出来るのだろう」と考えながら・・・。