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Channel: BIGTOEオフィシャルブログ「筋トレが救った癌との命がけの戦い」Powered by Ameba
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猪木ボンバイエ!!

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猪木ボンバイエ!!

小6の頃、親父が見ていた「日本プロレス」中継を横で見ていたら、G馬場や吉村道明が外人レスラーにボコボコにやられているリングに背広姿で颯爽と駆け上がり、上着を脱ぎ棄て外人レスラーたちをナックルパンチで場外へ放り投げ、雄たけびの声をあげたのが猪木寛至だった。

 

「かっこいい!!」一瞬のうちにファンになった。リングネームをアルゼンチンの名レスラーアントニオ・ロッカからとったアントニオ猪木に変え、ニックネームは「若獅子」から「燃える闘魂」へと成長していく。

その後、日本プロレスは、G馬場率いる「全日本プロレス」とA猪木率いる「新日本プロレス」へと分裂。

 

A猪木は、無冠の帝王カール・ゴッチ直伝のストロングスタイルのプロレスを合言葉に、プロレスこそ最強と異種格闘技戦で人気を博した。プロ空手のモンスターマン、極真空手熊殺しことウイリー・ウイリアムス、柔道王ウイリアム・ルスカ、現役プロボクシングヘビー級王者モハメド・アリとの対戦は余りにも有名。

 

日本プロレス時代にはG馬場と組んでのインタータッグ、韓国の虎 キム・イルこと大木金太郎と組んでのアジアタッグ、UNヘビー級を獲得。ロシアの白熊クリス・マルコフを破ってワールドリーグ戦優勝。新日本プロレス時代にはNWF、IWGP王者として、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセンなどと対戦、日本のプロレスを牽引しました。

 

引退後は、実業家、政治家とあらゆる分野で広く活躍。総理も行かない北朝鮮にも訪問しプロレス外交を行ないました。

 

そんな猪木さんが、若い頃からの持病糖尿病に加え、近年、難病である「心アミロイドーシス」を罹患していることを告白、今年に入り、腰の手術、腸捻転の手術と病と戦っています。

 

生き地獄のようだが、それも体験すれば語り発信することが出来る。退院したら来年はまた「元気ですか!!元気があれば何でもできる!!」といろいろな事をやりたいと語っておられます。

 

正直、あの強くてかっこいい猪木さんの衰えた姿を見たくないと思ったこともありますが、病床でもなお前を向いて夢を語る猪木さんもかっこいいと思うこの頃です。

 

レベルは違いますが、自分も癌になり、気管、呼吸、骨、筋肉、声と多くの物を失いました。

 

しかし、猪木さんの生き様を見て、生きている限り前のめりになって発信を続けたいと思った次第です。

 

アントニオ猪木「最後の闘魂」チャンネル

一日も早く退院できるように頑張ります。

 

 

 

 


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