何事も永遠には続きません。変化していきます。 鍛え上げた肉体も、加齢とともに消費期限が迫り衰えます。大谷翔平選手は自分の野球選手としての消費期限を10年と踏んでいるようですが流石です。多くの人は今の状況がずっと続くかのように錯覚して引き際を見失います。 私の場合も凡人故、自分の肉体の衰えを自覚し、トレーニング、肉体に対するこだわりを捨てられたのは、6年前のがん罹患が『きっかけ』でした。がん罹患、手術がなかったら、こだわりを捨てられずに無理して高強度のトレーニングを続けて膝、腰、股関節を潰していたでしょう。今は、トレーニングの使用重量、バリバリの肉体へのこだわりがなくなり、ステージⅣ、手術で残った障害の残る体ででもできる公園自重筋トレを楽しんでいます。バリバリ、ムキムキではないかなり緩んだ体、ちょこっと残った筋肉にいとおしさを感じています(笑)。同時にキャットピープルのナターシャ・キンスキー、コンテストコンディションの女性ビルダーの雌豹のような体も悪くないが、生活感のあるぽっちゃりさんも良いなあと思うようにもなりました(笑)。 がんで余命宣告を受けて、大手術を経験して、運よく「手負いの虎」状態でも復活出来たのを『きっかけ』に障害のある不自由な体でも出来る「生きる為の筋トレ」への転換と共に『断捨離(終活?(笑))』を進めてきました。 物の「断捨離」この世のほとんどの物はあの世に持っていけません。まずは、寒くて、私のがん切除手術で改造された体を受け入れてくれる病院のない兵庫県三田市の家を手放しました。(現在、近隣にあった三田市民病院の神戸市北区移転が検討されています。)障害が残ったことで、当然のように勤務先は退社。受け入れてくれる病院の有る尼崎に移り住みました。自然の流れだったように思います。あの世に持っていけない車、家などには何の関心も未練もありません。子供たちに迷惑をかけないように自分が入るお墓があれば充分です。仕事は予定より早期退職になりましたが、娘はがん宣告の前年に嫁いでいましたし、いずれ来ることです。手術を受けて療養生活の為に滞在した千葉県鴨川から尼崎への引っ越しの際に多くの物を処分しました。写真、動画などは必要なものだけデジタル化しました。スッキリです。 「別れ」と「出会い」2014年に母が逝去、2016年に父が旅立ちました。その翌年に自身が「ステージⅣ、手術をしなければ余命3ヶ月、手術がうまくいっても5年後の生存率40%未満」のがん宣告を受けたことを『きっかけ』に、それまで長年悩まされてきた質の悪い妹と縁を切りました。質が悪いと言っても妹です。断腸の思いでした。 がんになったことを「きっかけ」に疎遠になった友も数名いますが、「どのように声をかけていいかわからない」という思いやりの人も居るかと思います。縁があれば、いずれ再び出会うでしょう。 親友の笠松さんの紹介で素晴らしい二人のスーパードクターに出会えました。術中に死ぬ可能性も続きをみる
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