今日、11月10日は、母の9回目の命日です。「母危篤」の連絡を受けたのは、宇都宮での展示会を終え、翌日の福島訪問を控えてホテルにチェックインした直後でした。 部屋代を支払い、翌日の福島の訪問先をキャンセルし展示会用の車で夜道を飛ばして東京の自宅へ。自宅に着いた時にはすでに11時近くで、新幹線も夜行バスも間に合わない。 母がお世話になっていた六甲病院の関本 剛先生と電話で話し「今から車を飛ばして神戸まで行きます。明け方には着くと思います。」と伝えると「お母さんは、すでにチアノーゼが出ており恐らく間に合わないでしょう。それに夜道を東京から神戸まで焦った気持ちで車を運転するのは危険です。そばで手を握り見送ることだけが看取りでなありませんよ。」と諭されました。結局、夜中の2時過ぎに亡くなりましたとの連絡を病院から受けました。そしで、眠ることなく一番電車で東京駅へ行き、新幹線に飛び乗ったのが昨日のことのようです。 その1年半後に父も旅立ち、翌2017年には自らもステージⅣのがん宣告を受けましたが、幸いにも家族、親戚の叔父叔母、友人たちに恵まれ、名医に出会い大手術を突破!その後の2度の転移も優秀な医師の肺部分切除手術と友人からの情報で知ったサイバーナイフ切り抜けることが出来ました。その間に続きをみる
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