先日お話したウエブサイト「BIGTOEの筋肉物語」より、まずは私を知らない方のためにプロフィールと人生経緯を。知っている方、興味のない方はスキップしてくださいませ。
BIGTOEのPROFILE(コンテスト引退まで)
≪ハンドルネームBIG TOEの由来≫
BIG TOEは英語で足の親指のことです。
私が若かりし頃、USAユタ州プロボのビジネスカレッジに通っていたときに、同じアパート(別の部屋ですよ!!)に住んでいた金髪娘ジェイナリーが付けてくれたニックネームです。
彼女にとって日本人は小さいというイメージだったのですが、私がマッチョだったので「一番でかい指」という意味で「BIGTOE(足の親指)」と名付けてくれたのです。
私の顔を見ると「Hi!! Big Toe!!」と言って声をかけてくれました。
HPを始めた時に、ふと頭に浮かんだこのニックネームをタイトルにしちゃいました(笑)。
≪運営サイト≫
『BIGTOEの筋肉物語ブログ』-AmebaBlog-
https://ameblo.jp/bigtoe-muscle55/
『BIGTOEの未来を生きる為に!!』~筋トレが救った癌との命がけの戦い~
-livedoorBlog-
https://www.facebook.com/toshiyuki.yoshiga
YOUTUBE
https://www.youtube.com/channel/UC9ba_87xP46MRAMmWt1KMGA
※「BIG TOEの筋肉物語」運営(2000年8月~2022年秋閉鎖予定)
≪BIGTOEのプロフィール≫
《生年月日》June 9th 1955
《性別》Male
《サイズ》身長174cm 体重75kg(現役時)オフ体重90㎏ オン体重75kg
《コンテスト歴》
ミスター大阪ジュニア優勝・ミスター岡山優勝・ミスター大阪ミドル級優勝・ミスター大阪優勝・ミスター関西優勝
《趣味》絵を描くのが好き。懐メロ♪。小動物を飼う(クワガタ・イモリ・カブトムシ)。ヘタの横好き英語。
●月刊ボディビルディング(MBB)ライター
《連載》
ビギナーの為の種目別トレーニング「基本のキは筋肥大のキ」(2003年)
「マニアックホームトレーニング」(2005年)
「ONCE UPON A TIME in BODYBUILDING, U.S.A.」(2020年)
●チームBIG TOE主宰
BIG TOEの筋トレチーム(東京八王子・多摩スポーツジム)
《BIGTOE年表》
1955年 神戸生まれ。
少年期は岡山県倉敷市にて過ごす。
小学校、中学校時代は漫画家を志す一方、相撲の大鵬、貴ノ花、プロレスのアントニオ猪木に熱中。
特に猪木が凱旋帰国し、背広姿でリングにさっそうと登場。外人レスラーを得意のナックルで場外に叩き落としたシーンは今でも目に焼き付いている。「カッコええー」猪木信者第1号?となる。
1972年 倉敷青陵高校で大森研一氏(現倉敷TPオーナー)と出会う。
1975年 偶然つけたテレビに映し出されたアーノルド シュワルツネガーの満面笑みを浮かべながらのモーストマスキュラーポーズに強い衝撃を受ける。「1日でもいい、アーノルドのようになりたい!!」と。
1975年 夏、久しぶりに再会した大森氏の鍛え上げられた筋肉に驚く。
早速、大阪のナニワボディビルクラブに入門。本格的なトレーニングを始める。新井氏、里氏(SATOさん)とパートナーを組むことにより、トレーニングパートナーの大切さを知る。
1980年 ミスター大阪初出場。ジュニアの部優勝。
この年のミスター大阪は後のミスター日本、アジアチャンピオン、現在オリンピック選手の筋力トレーニング指導の第一人者として活躍中の小山裕史氏。
毎日放送「突然ガバチョ!!」退場マンとして出演
日本テレビ「びっくり日本新記録」出演
1984年 米国ユタ州のビジネスカレッジに留学。
伝説のファーストミスターオリンピアラリー ・スコット氏よりトレーニング指導を受ける。
1985年 米国カリフォルニア州サンタモニカのワールドジムでトレーニング。
あこがれのシュワルツネガー、リー ヘイニー、フランコ コロンボ、ルー フェルグノ、俳優のシルベスター スタローンといった錚錚たる面々を横目にトレーニングに励む。
1985年7月 90キロの体重を73キロに減量。ミスター岡山に出場。優勝する。
同年 ミスター関西3位、西日本5位。
1991年 転職に伴い、勤務の都合上、コンテストから一時引退。
1993年 トレーニングを再開。植野勝美氏(後のミスター大阪フライ級1位)と出会い、トレーニングパートナーを組む。
1994年 ミスター関西3位にカムバック。来年の優勝を目指すべく、ヘビーデューティトレーニングを取り入れる。
1995年 ミスター関西、ミスター大阪優勝。
1996年 ミスター日本17位。その後、肩の怪我、勤務の都合により、コンテストから遠ざかる。
引退後、ホームトレーニーとして通信販売で買い込んだベンチとダンベルで「ステイヤング」を合言葉に汗を流す。「 サラリーマンビルダー健在なり。」